連合野球試合の3

ではこの項最終の講評になります。「野球が来て10年」というのは、山陰に普及したのが10年前ということでしょうか。正岡子規が野球と命名したという話を坂の上の雲あたりで読んだ記憶がありますが、いかがなものでしょうか。いずれにせよ山陰には教えを請うべき指導者は見られないくらいの歴史の浅い運動ではあったようですね。この時代は学校教育は「国民皆兵」につながる体力および行動連携を涵養する目的につながっていますので、運動のために障害を負ったり病気になってしまっては本末転倒。そんなことがなくて野球はいいぞ、とあえて言う所を見れば剣道、柔道ほかほかやり過ぎの場面が見受けられていたのかも。野外演習で負傷して脱落、という記事も一度ありましたし。みんな揃って体育会系の時代というのは怖いかも。
とまあ余計なことをいいつつ。野球の講評に関して言えば、何時の時代も同じことが言われているというというところがご愛嬌。

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連合試合の経過はかくの如し。敢て一言を我選手に挟む、可ならむか。

バツテイング 試合に最も要用なるバツテイングが一中選手に功を奏せしもの鮮かりしは如何。体格勝れたる山高選手に対しての心後れか、将た技の拙なるが為めか、腕力の不及は則ち之あらむ、然れどもセーフヒットを打って腕力に拠るものにあらざるは余輩の言を待たずして明らかなるところ。況や当日両軍の投手は本校の宿将にして、其の魔球、強球、弱球の調子は畧ほ一中選手の熟せるところなるをや。前途は遠征の大志を控ふるもの、宜しく一段の修練を要すべし。

ランニング バツテイングにつきては必要なる馳突、また殆んど見るも足るもなし、野球は由来遅巧を賤みて拙速を貴ぶ、瓦全のスタンデイングはボールメンの恥づるところ玉砕のアウトは其屑とするところにあらずや。バッテイングと併せて選手諸氏の奮闘を望む。

フィルデイング ある者は秀である若は劣り一概に評し去る能はざるとも投球のスタイルは今後一大刷新を要すべく、ベースに於ける球のサバキは更らに一層の敏捷を要し内外両選手の連鎖のたぼつかなきは去る三十一年師範との試合以来の欠点なるも、今日猶ほ未だ幼稚なるを失はず。

思ふに選手諸氏また此点に意を注がざるには非らざるべきも、其一大原因は外野選手其人が其職掌を軽んずるによるべきか。試合中攻撃の最も恐るべいは猛烈のセーフヒットに若くはなし。而かも外野手にして技に熟せむか。其影響たるまた些々たるのみ。況や其他の大飛球、内野手の失策によりて逸せるゴロの如き外野手だに其人を得ば一投球はよく走者を屠りて余あるをや。

これを一高対外仕合に見る。横浜アマチュアとの第二回マッチに於ける富永、上村ニ氏の如き、敵の猛烈なるバツテイングをして功なからしめしを思へは外野手の責任の重きは自ら明かなるべく、我部の遠征の如きも敵の形勢によりては、今日のベースマン或は遠く外野守備の任に当らざるを得ざるに至るやも計る可らざるなり。余輩は切に其外野内野の連鎖に留心せられむことを望むものなり。

山高の諸氏に対しては余輩を挟むの識なし。ただ其打撃の猛烈、馳突の敏活、モーションの軽快、投球の正鵠なる事が、確かに吾人井蛙の見を開発する○のありしを多謝してやまむのみ。ことに一イニング毎に全軍変形の事より、毫末の動作に至るまで懇篤に説明の労を吝まれざりしは、余輩が長途の疲労を顧みずして此練習を快諾せられたる好意と共に、深く感銘するところなり。

ああ我校野球の技あって、ここに實に十年。敢て短日月とせず。顧みて其造詣を思へば慚愧に堪へざらむとす、然れども山陰の僻地、就くに先輩なく、輸○を争ふに敵なきを思へば、また多少の慰籍なしと曰はんや。ああ顧みて慚愧に堪へす、然れども年少血気のヴァニチイに媚ふる事多く果断の気を涵養し勇気自在の気を発達せしめ、分業的団結の習慣を育成し、敏活の行動に慣れしめ、無邪気なる交友の機会を与へ、而も或る運動の如く過激ならざるが故に、不治の病を起すが如き憂なき斯技の性質として、其将来の盛進と進歩とを予言すると共に、其動機が這般の連合練習試合の一挙に懐胎すべきを断言するものなり。

(妄言多罪)