アレックス・ライダー

読書系のサイトに動画リンク付きで出ていた「アレックス・ライダー」シリーズにちょっとはまっております。なにしろ副題が「女王陛下の少年スパイ アレックス」という物々しいことになっているジュブナイルなんですが。
装丁の主人公のド派手な色彩格好手に取るとさすがに一瞬引きますが、中身は007シリーズそこのけのアクション満載一気読み保証付きの面白さ。
映画化されていて、YouTubeに出ております。冒頭にユアン・マクレガー、悪役にあの!男優がという豪華配役、極めつけに主人公のアレックスが超美少年という。
原作自体がそのまま映像にしても大丈夫なくらいの展開。問題は唯一主人公の設定が14歳なのでマジでシリーズ映画化しようとしたらハリーポッター状態ですぐに現実に大人になってしまうということくらいでしょうか。

作者のアンソニーホロヴィッツは、シャーロックホームズ協会公認でシャーロックホームズ新作を書いています。「絹の家」といいますが、こっちもなるほど面白かった。こんなに面白い本を書く作家だからこそ指名されたのね、とアレックス・シリーズを読んで納得した次第。

ただいまシリーズ5冊目「イーグルストライク」読みかけ。どんどん話が大きくなってゆくのよねえ。世界を股にかけて。いやほんまに、驚天動地荒唐無稽なのになぜかあり得ると思っちゃうこの筆力すごい!

イーグルストライク (女王陛下の少年スパイ!アレックス)

イーグルストライク (女王陛下の少年スパイ!アレックス)

賀正

お正月のおでかけ写真。今年は日頃が忙しくて疲れのたまった体を強行休養の試み。家でゴロゴロしていたのでかえって疲れが出る体が痛いなどとこぼしながらの正月でした。久々に朝ゆっくり寝ていられたようなきがします。

といいつついつまでもじっとしていられない性分。折角の休みだ瀬戸内の海が見たい!との要求から、尾道から四国へ向かう途中の「伯方島」へと車を走らせた次第。出発したのが夜明け。まずは、山陰は中海(なかうみ)ごしに見えた伯耆大山のあたりからの朝日の写真。
以後高速自動車道を松江から伝って南下。尾道へと向かい本四連絡橋?を伝って「伯方島」(はかたじま)へついた写真がつぎ。展望台から今しがた通ってきた橋を眺めます。ほんとうに「美しい」という形容が似合うような橋でした。設計者はこの橋が完成した時は感無量だったろうなあと本当に思います。そしてつくづく考えたのは日本に生まれて幸せだなあとも。世界の各地でテロ事件が頻発し世情不安な国々が多数ある事を思えば、こんな大規模な工事が継続してそして完成を見る事ができるような日本ってひょっとして凄いんじゃないか、誇って良いのではないかと。

つぎの電車の写真は映画「レイルウェイズ」で有名になった、出雲を走っている「一畑電車」(いちばた)。出雲大社は正月はいつにもまして参拝が集中します。そういう時はこの電車の駅の駐車場に車を停めてパーク&ライドした方がかなり楽です。この時は「川跡」(かわと)駅に停めました。出雲平野のほとんどは昔湿地帯でそのなかを八岐大蛇になぞらえた「斐伊川」(ひいかわ)が思う存分流れる筋をかえて暴れ回っていたとか。いまや見渡す限りの平野のどまんなかになりますが、この地名はその名残なのでしょうね。
この日はお客さんもそろそろ減ってきたのか臨時特急もあってかがらあきでした。まあ、お客さんが写らないアングルで撮ったのですが。
てなわけで、お正月は何をした?という話でありました。





めでたやめでたや

年をとると人間が丸くなった、わけではないようですが。ようやく「年明けの挨拶」なるものを唱える(まさに呪文のように)ことに大分抵抗がなくなってきたような。というよりも、たんに接触する相手が少なくなり唱える回数が少なくて済むようになってきたということだけかもしれません。それとも自分的に世間相手の「摩擦」が面倒になっただけ?

閑話休題
今までならば恐ろしくて行くこともなかった「窯元」に、観光客に紛れて昨年は訪れてみましてござる。
世に名高い、出雲の出西窯(しゅっさいがま)「炎のまつり」。普段は手がちょっと出にくいお値打ちものが格安で出るというので、駐車場からシャトルバスが出るというくらいのお客さんがくる陶器市です。
午後遅くという、時間をはずしたにもかかわらずわらわらと群がるお客さんに紛れて相当な目の保養をさせていただきました。ここでは「現役の登り窯」を見学させていただけます。やっぱり凄いです。柳宗悦民芸運動の流れを汲む「用の美」といいつつその釉薬のうつくしさ。
作業場がこの日カフェになっていてその壁に掛かっていた「注連縄」がまた迫力ございまして。

清水の舞台から飛び降りる思いで(おいおい)、普段使いのご飯茶碗を二椀購入。はい、我が家の普段使いの食器を全部加算してもひょっとして越えるかこえないかというお値段でございました。当分割れナイゾウ、これは。



第七号 新来の先生を迎ふ

西村元主教師は4月に赴任、岩手県より。雑報、学生生活のカテゴリ参照のこと。

日進月歩、我国の中等教育は、益々旺盛の域に趣くと共に、中学教員の欠乏を告ぐること、実に少しとせず。曩 に、吾等は児玉教頭、横山、中村、清水、鹿野、並河の諸先生を送りて、実に、失玉の歎ありしが、今や新に、平 野、西村(元主)江田、五十嵐、溝部、上田、西村(昂三)の各先生を迎へて、更にまた、拾実の歓あり。聞くな らく、平野教諭は、曾て札幌農学校を卒業せられ、続て北米合衆国の趣き、帰朝後郵船会社に入り、転じて三重県 立第一中学校に教諭たること数年その独特の英語は、該博にして軽妙、恰も珠玉の盤上を転々するが如く、教ふる こと丁寧親切、夙に令聞あり。我校に来りて英語科を受持たる。

眼の玉をみる

極度の近視なのであります。度がつよくなるとこれに二重苦ならぬ「乱視」というものが加わることが多いそうであります。自分もその例に漏れず。ゆえにレンズで近視を矯正しても、視力が思うほどあがらない場合あり。ソフトコンタクトレンズが巷に普及しはじめたころ一度ハードレンズを試したことがあるのですが、極端な恐がりなもので諦めました。同級生は続々とソフトコンタクトを装着していったのですが、さて今はどんなふうになっているのかしら。不具合とか影響とか出たのでしょうか。聞いてみたいなあ。あれから数十年。

今や瞳の色を変えたくて装着するのもあるし、つけたまんま数日間というのもあるらしくパンフレットをみるとさまざまで感心します。使い捨てなんですね。というのは、久しぶりに眼科へ行ったせい。

この年になると年に1回は定期検査せねばならないのですがもう5年くらい怠けておりました。怠けている分等比級数的に怖くなる。まずいことになっていないか、とか。

このところじわじわと調子は悪かったのですが、良い方の眼がさかんにちらつき始めました。飛蚊症が極端に悪化した感じ。小学校の頃から既に症状はあったので知らない症状ではないけど今回は糸でなくて「幕」がちらつく。動くからには視野欠損の可能性は少ないと思うけど、というわけで五年ぶりの眼底検査。

ひゃ〜基本、瞳孔を開いて(目薬で)暗室で光を照射して先生がレンズ使って眼底を見るというのは変わりなかったのですが。見慣れぬ機械がありまして、看護師さんが「視神経の断層写真とりますね〜」と。
何度もいうけど極度の恐がりなんで痛いのとか針刺しとかおびえるんですが、撮影はターミネーターの目玉みたいなのが真っ赤になってそれを見ているとシャッターみたいに線が移動して完了という。いや〜凄いなあ五年のうちにこんなもんが開発されてたのか!
要するに目玉のCTみたいなものらしいんですが。しみじみ思いました。いたくないのが一番。

検査結果は特に問題なしということで解放され一件落着。ま、膜はどうしようもないので慣れるか目玉の中のどっかへ移動してくれることを祈る!かの二択(選んでないし)となりました。来年はちゃんと定期に通います。もう慣れたので怖くないんで。怖いのは検査結果だけ。

赤穂にゆく

一気に冷え込み、「雪おこし」と呼ばれている雷が鳴りました。1センチくらいあるような雹も降りまして、あああ、冬がやってきたのねという気分となった今週。
伯耆大山はもう紅葉も半分かた散りかけてカラカラと落ち葉がころがりはじめていました。最盛期のタイミングで訪問するのはなかなか難しゅうございます。
松江宍道湖の夕日も落ちるのは午後5時とあって、もうこれからは車をとばしても平日見るような機会はなかろうかと思われますが、暗い中宍道湖うさぎくんのアタマをなでに詣でるひとがおられるとか。縁結びイベントが功を奏して松江に観光する若い女性をよくみかけるようになりました。これも出雲大社遷座の波及効果とは思われますがめでたいことであります。
天気の急変する冬場は、夕日見物には当たり不当たりの差が顕著になります。うまく行ったら下の写真のようなすばらしく美しい夕陽に出会えます。来松の折にはご期待くださいませ。

最後の一枚は、避寒のためにでかけた瀬戸内の赤穂市街を一つ坂を越えたところにある「坂越」(さこし)の浦の風景。塩の積出港で木戸門まで建てて人の出入り制限していた都合で便利だったのか藩主家族の夏の別荘があったというところ。界隈を逍遥していてとても気持ちのよいところでした。昔ながらの造り酒屋とか残っているたたずまいが本当に自然体。
一坂越えて赤穂のお城にお初にお目もじしたのですが。幕府が潰そうとめをつけたのが納得できるような気が。あんまりに「豊かな」「栄えた」たたずまい。気候は塩田つくるくらいだから穏やか日照時間おおく、揖保川という大河から燃料木材は供給できるし。材料の海水は無限にあるし、塩は産業の発展に必須とあれば巨万の富となる。為政者とすれば目障りこの上ない存在だったかも、と勝手に納得いたしました。
大石内蔵助の生家のある大石神社も敷地広そうだったなあ。昼行灯がそだっても無理はない、あ、いやいや。これだけ大きなお城の藩士がリストラにあったら相当の人数だし、ほんわか暮らしていたのに寝耳に水で大変だったことでしょう。
藩政に汲々としていた小藩の松江とか米子の危機感とか、ちょっと思ってなんとも苦笑。大はずれかもしらないけど。



鳥取にて

連休どこゆく?とあたふたしているあいだに日々は過ぎてゆき、考えるだけで終わってしまった。要するにおアシがいろいろありまして予算がつかずというていたらく。それもこれもMacBookのバックライトが昇天し、頭に血が上って新しいのを手に入れたという自業自得ではありますが。

巷には金木犀の香りが充ち満ち、この時期頭の中が非常につらい。ようやくお出かけする勇気?ができまして鳥取県立博物館で開催されていた企画展を見て参りました。国外に流出したもののコレクションですのでもう二度と見る機会はないと思われ。しかし、名前を聞いただけでも信じられないようなラインナップです。狩野派尾形乾山伊藤若冲北斎、ほかほか。名前だけかと思ったら、逸品揃いでした。北斎の肉筆画なんて普通出会えないし。鳥肌たつよな作品あり。これ文化財レベルでしょうに。

http://edo-kiseki.jp/highlight.html

明治維新とか太平洋戦争終戦騒ぎのドタバタのなかで、士分とか名家のオクラから相当量の骨董品が国外流出したという話を思い出します。哀しく思い出しながら、それはそれでまあ仕方のないことかとも。どこが震源になっても大震災が起こってしまえば全国にある原発は崩壊して日本全土に放射能が溢れれば、日本国内の美術品関係は全滅でしょう。除染は今の技術では不可能だし国外に持ち出すこともできなくなる。文化遺産はどうしても後回しになる。よその国にあればその分は救われるかも。

それにしてもどんだけ稼いだんだと度肝を抜かれました。いくら40年かけたとはいえ個人の夫婦のコレクションですから。桁違いなんですね。と同時に、やっぱり見る目のある人ではある。これで美術館がひとつできます。

写真は博物館となりの、というか博物館がその敷地内にあるのですが「久松山公園」(きゅうしょうざん)の鳥取城跡と、今回乗った境港線路を走っている「猫娘列車」です。