4号 旅記録 吉野と高野山の3

いよいよ高野山にはいります。旅宿はないので、出身地に応じた「坊」に宿泊。しかし時期外れ?のせいか泊まっているのは著者ひとりのみ。精進料理をいただいて、夜更けには虫の音も聞こえぬ静寂の中に。


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其のニ 高野山

十六日、学文路を発し、高野山に登る、山頂まて三里と称す、学文路より一里の峠を越ゆれば、河根村なり、又上ると一里にして神谷に至る、神谷より山は道漸く険なり、就中不動坂を最険とす、坂路四十七折此、坂を上り終りて行くと十数丁にて女人堂に至る、これよりは平なる道なり


高野山は其名の示す如く、山頂なる狭長の原野なり、両側は又山なれば眺望はなし、幾多の広大なる寺院と、酒味噌菓子書籍珠数雑貨を商ふ商両側に並びて、五六町の間市街の形をなせり、これを過くれは奥の院の道なり、杉楢などの老樹茂下れるは、諸大名の石塔、五輪塔、大なるは丈余のもの、林の如く、幾百となく道の両側に立てり、此の如きもの十八町にして、玉川といふ小清流を渡れは奥の院なり、


奥の院弘法大師の定に入り玉ひし處なり、御供所、燈明堂の後に廟あり、廟 石柵を回らしたる中に、山の前面、昼も小暗き迄老木の生ひ茂り、名も知らぬ草の掻き分け難きまて繁き間に立ちて、大さは一丈四方もあるべし、其萱葺の屋根に苔の青々と蒸せる下に、大師は今猶龍華の三会を待ち玉ふとかや、詣て終りて、遍照光院といふに宿す、


高野山には旅宿なく、参詣者は、皆其国々によりて、定めの坊に宿るなり、坊に入りて、筧(かけひ)を伝はり来る閼伽を掬飲すれは、清く冽かにして醍醐の霊味あり、湯風呂に設ける湯、清く澄めるは水晶の如く、よごれたる五体を入るも勿体なき程なりき、寺僧の手に成れる精進の料理、異所のものと違ひたる風味あり、とかくする中、六時の鐘の音夕風に響きて、暮色は漸く山を蔽い来れり、


此日十数の室を備えたる此広大なる坊に宿りたるは余一人のみ、夜に入りては、高山の上とて、風なきも涼しさ骨に徹して、体自ら厳かに、ほの闇き行燈下に端座すれは、雲に響く木魚の音も、空にすみ行く読経の声も止み、四隣間寂として、耳驚かす木の葉の音、哀催すべき虫の声だになし、